「怒るときに怒らなければ,人間のかいがありません」(太宰治)。ネットワーク上での怒りをおさえてはなりません。その鬱屈した怒りは行き場をなくし,いつか無残を生み出すでしょう。虐待を受け続ける子どもが,いつか犯罪を犯すように。
quote:ネットアンドセキュリティ総研社の小中学生を対象とした調査結果によると,ネットの利用中に頭に来た経験があると答えたのは66%,誰かを殺したいと思ったことがあると答えたのは39%だった。殺したい人物でもっとも多かったのは学校の友だちで,ネットの友だちは少数だった。
「世の中で生きるには,人々と付き合うことを知らなければならない」(ルソー)。子どもというのは,おとなが思うほど子どもではありません。自分を偽ってみせることもできますし,相手がつくっていることを見抜くこともできます。ですが,人と付き合うことには経験が必要です。最初からうまくできる人間はいません。そんな子どもにとって,多くの人がいるネットワークは,学ぶ前に実践を要求する場となるかもしれません。とは云え,そこに早いも遅いもありません。ネット上で人を殺す子どもは,リアルでも人を殺します。そこに,差異を持つこと自体,間違いです。人と付き合う始まりとして,ネットワークは間口広く,開け放たれています。
「苦しみは,人間を強くするか,それとも打ち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じて,どちらかになる」(ヒルティ)。自分が相手の前から存在を消すことも,相手の存在を消したいと思うことも,大差はありません。ただ,そこで強く苦しむ人間と,苦しまずにすます人間とがいます。わたしたちはより苦しんだ人間に同情したいところですが,その内面までを他者が知ることは,たいがいの場合は不可能です。また,いまのマスメディアに支配されている世の中では,それはよけい不可能でしょう。4割近くがネットで「誰かを殺したい」と思ったという見出しから,どれだけの人がその内面の苦しみを感じ取るでしょうか。報じる文面はすべてでなく,それどころかそこにはなにも描かれていないことを肝に銘じるべきです。そして,名句とともに,深く考えて冷雨夜を過ごします。
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